中川秀直 農業の戦後レジームは農地改革、農水省は本気で農地法改正するのか? - 今日の一貫中川秀直著『官僚国家の崩壊』に、「農業・農村の疲弊をもたらした構造的欠陥」が、書かれている
それにしても、先進国で地方の地域社会がこんなに疲弊しているのは日本だけである。
この意味するところは、市場経済のもとで地方社会が疲弊するのは必然ではない、という事実でる。 .
先進国における地方都市の基幹産業は農業だ。農業が元気にならないで、地方が元気になるわけがない。欧州の農村地帯に行けば、観光資源にもなるような美しい田園地帯がそこかしこに広がっている。耕作放棄地はまず見かけない。
地域経済、地域社会の鍵である農業が日本では衰退してしまった最大の理由は、農業の脆弱性を克服できなかったことにある。そして、農業の弱体化が地域を疲弊させ、公共事業依存にさせた。
なぜ、戦後、日本の農業は弱体化したのか。そのルーツは占領軍が政治的理由で実施した農地解放にあるのでは、と私は考えている。GHQ(連合国総司令部)は本州内で一町歩以下の零細自作農を創設し、自立不可能な農業構造をつくった。しかし、日本は独立後(サンフランシスコ講和条約調印後)、この間題に手をつけなかった。
農業における戦後体制の原点は、占領軍が農村の共産化を防ぐという政治目的を優先させて経済生産性が最初から成り立たない零細な農地を農民に解放したことにある。それが、私のいう「農業の戦後レジーム」である。
農林官僚の中には、占領軍の政治優先の政策に抵抗感のあった人もいたらしい。しかし、占領下では、日本の主張は通らない。農業の生産性などという話は、日本が独立してから日本人自身が取り組めばいいではないかと、一蹴されたそうだ。
確かに占領軍がいったように、すべては日本の独立後、解決できる問題だった。しかし、独立後も、日本国内では「大規模借地農方式は地主制復活につながる」という声があり、いまだに占領軍統治下と変わっていない。
こうした観点から、いま、農水省は、戦後の農地制度の基本的理念であった法体系の根幹にある自作農主義を見直し、農地の所有よりも賃貸借による利用を重視した法体系への転換を進めようとしている。われわれはこの流れをしっかりサポートしなければいけないと思っている。
この占領軍(GHQ)の呪縛からニッポンをいかに解放するか、それが問われている。
一貫先生は言う:
ikkanの目
基本的な認識は正しく、認識を共有する。
だが、「いま、農水省は、戦後の農地制度の基本的理念であった法体系の根幹にある自作農主義を見直し、農地の所有よりも賃貸借による利用を重視した法体系への転換を進めようとしている。」と書いている。
農水省は、農地法の70年改正から、上記のようなことを言い続けている。
40年近くも狼少年を続けている。
実効性のない主張をサポートするのも良いが、本当に、「農業の戦後レジューム」を解体したいと思うなら、農水省ではできないと言うことを、はっきりと認識すべきだろう。
できない人をサポートするのは、中川さんも、口先だけの人になってしまう。
重要なのは本気になって実行するにはどうしたらいいかを考えることではないだろうか?
それが政治家の仕事だ。
天木直人大使によれば農水省の役人も同じことを言っていたよし:
貧農救済を掲げて行われた小作農育成政策は間違っていたのか。
それともその後の状況の変化に日本の農業政策が正しく対応できなかったのか。
農業の専門家ではない私にはわからない。
しかしわからないのは私だけではない。
80年代の半ばごろ、私は農水省の課長に日本の農業の将来について聞いたことがある。その時の答えが、政治家に聞いてくれ、であった。
政治家は票次第。巨大な票田の前には合理的な考えを通そうなどという気などさらさらなく利権集団の代弁者と成り果てる。戦後の高度成長期ならいざ知らず、いまの日本経済にはそれだけの余裕はもうない。かくして、ニッポンの衰退は続く。悲観的にならざるを得ない。
都市に住む庶民に出来ることは、出来るだけ食わないことぐらいか。
ちなみにGHQと農地解放について、GHQの狙いはなんだったのか、散人の見解を書いたことがある。下記を参照:
農協新聞:日本の農業をだめにしてきたのは農協ではなく農政だ……よういうわ!
「いまこそ農地法の理念に立ち返るべき(耕さないと所有は認められない)」(大泉一貫)
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